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子どものこと②


【子どものこと②】
 私の趣味は昔から読書。
今日は子どもに対する考えがいいなと思った本を紹介します。
ひとつめ、さくらももこ著「そういうふうにできている」
息子さんを妊娠、出産したことが書かれている。昔のちびまる子ちゃんコジコジ、エッセイはきれいごとだけでなく自虐的なこと、なるほどそういうふうに表現するんだ、辛辣なことなどが書かれていて面白い。
 自分の子どもを一人の人間と尊重していくこと、一緒に仲良く暮らしていこう、息子を虐げる言葉や力をかけるつもりはないとあった。

ふたつめ、小島慶子ヤマザキマリ著「その「グローバル教育」で大丈夫?」
グローバル教育と聞くと、世界に飛び出し活躍することと思いがちだが、どこにいても隣近所とコミュニケーションをとり、自分の世界を広げることがグローバル化ではないかと問いている。
小島慶子さんの考えが私は好きで、何冊か本を読んだ。小さい頃は厳格な両親に型通りの教育、はめ込みをされていたが、いざ自分が親になったときそのように育てることに違和感を感じ、人と同じでなく普通でなくて構わないんじゃないか、型通りの子育てなんてないと言われていた。

ヤマザキマリさんの「テルマエロマエ」や「世界の果てでも漫画描き」の漫画や他にも何冊か読んだことがあるが、ぶっ飛んでいて面白い!周りの人たちも面白い!面白い人の周りには必然に集まってくるなぁ。
各国を転々としているが、周りから見ればグローバルだと言われるがそれは必然であって、自分の意向でやっていることではない、そこに子どもが加わり、子どもは好きなように責任を持って暮らしている両親を見て、自分もそうしていいんだ、自分のことは自分で考えないと生きて行けないということを思っている。

日本ほどどこの大学を出たか、学歴重視なところはないと説く。海外でそんな話は一蹴される。その人となりを見られる。
大学はその人の通過点でしかなくゴールではない。
エリートコースを子ども自身が望みそれに突き進むなら問題ない。しかし殆どが親がバックで操作して親子一緒になって受験に取り組む。
そんなにいわゆるいいところに入れたい、入ってほしいのなら、自分が入ればいい。勉強を子どもにしてほしいのなら自分がしたらいい。
子どもに不自由をさせたくない、自分ができなかったことを託したい、のは教育虐待である。
子を大切に思う気持ちに変わりはないが変である。

トイレ掃除やゴミ拾いをして生計を立てている人を指し「ああいうふうになりたくないでしょう、そうしたら勉強をしなくちゃいけない」と諭す。しかし、そういう仕事をしてくれている人がいてトイレを清潔に使える、道を気持ちよく歩けるなどにつながる。職業差別はよくある。

私の周りでも「子どもにこの職業につかせたいから今頑張らせて塾週四行かせている」「子どもにこの宿題をやってもらいたいから習い事の前にやらせている」「お小遣い上げるから勉強しなさい」などなど…子どもは子どもの人生なのに親が思うように操作できると勘違いをしている。

私も勉強しなさいと言わないことはないけれど、結局は子どものやることに親の介入はむずかしいと思っている。私の思うようになるはずないと思っているけれど、口うるさく言うときもある…
勉強って言われてやるものでなく、やりたいからやるものである。しかし、学びたい気持ちにさせるのは家庭の姿であると思う。
夫は、よく「勉強しろ」と言うけれど、夫が学ぶ姿勢を家庭で見せていないし、私も本を読むくらいでのんきに過ごしていたら、子どももそんなものかと思っているはず。
親の姿ありきで子どもは育つ。
学校のはめ込み、みんなと一緒、先生の言うことは絶対、な日本の学校のやり方は100年くらいたたないと変わらないとヤマザキマリさんは言っていた。
自由な意見を言おう、とあっても一応の型通り、先生の思惑は入っていて、制限されるのは未だによくあることだ。自由、自分の意志を言う事ってなかなか難しくなっている。それを大人になってできるか、というと簡単にできない。

外での親や大人の振る舞い、コミュニケーションのとり方などを子どもはよく見ている。そしてそれを無意識で真似している。

親(親、というのも屋号みたいなものだが)の役割、なんておおごとに考えず自分が楽しく家庭だけに限らず、社会に目を向けて関心を持って生活、生きていけば子どもはそれを必ず見ていると思っている。

 この世に生を受けて生まれてきた尊い私たちが虐げられることも、生きられなくされることもあってはならない。みんなそれぞれなのだ。
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